おすすめではありません☆
バンクーバーからの大陸横断鉄道は、以前は2種類のルートがありました。
バンクーバー・ウォーターフロントの駅から出発し、カルガリーを通って東へと通じていたカナディアンパシフィック鉄道こそが歴史ある最初の大陸横断鉄道だったのですが、今は定期列車は廃止になっています。
ウオーターフロント駅の荘厳な建物には、いまもカナディアンパシフィック鉄道の名前が刻まれていて、広い構内は往時の雰囲気を十分に残しています。
ちなみに、ウォーターフロント駅内のスターバックスは、アメリカ外での1号店です。シアトルに近く、スターバックスがバンクーバーの人に愛されていることに納得がいきます。
大陸横断列車には似ても似つかないけれど、同じルートの一部をWest Coast Expressという通勤列車が走っています。
朝はバンクーバー行きのみ、夕方はバンクーバーから郊外へ戻る方向のみ、という特殊な運行形態なのでバンクーバーを拠点とする旅行者にはとても利用しづらいです。
不便なのでおすすめではありませんが、景色はよいので、地元の人しかいないところに行きたい人は、ポート・コキットラム(Port Coquitlam)まで行って帰るだけなら1時間半、終点のミッション(Mission)まで行くとなると半日費やすつもりで挑戦してみてはいかがでしょう。
二階建ての通勤列車は、コンセント付きのテーブルもあったりして、日本のギュウギュウ詰めの通勤列車とは雲泥の差です。
あえていえば、東海道線や総武線のグリーン車で通勤しているような感覚でしょう。
遠い昔に日本からバンクーバーへ船で渡り、大陸横断鉄道に乗った人はこの列車の景色と同じものをみていたのでしょう。
沿線風景を簡単に紹介します。
バンクーバーを出発し、貨物ヤードを抜けると、左に巨大な橋(Second Narrow Bridge)が見えます。
バンクーバーとノースバンクーバーの連絡は、スタンレーパークにかかるライオンズ・ゲート・ブリッジかこの橋かの2ルートしかないので、通勤ラッシュはとても混むところです。鉄道は大きな可動橋で、先はウィスラーへと続いています。
Second Narrow Bridgeを過ぎると、工業地帯からとたんに穏やかな入り江の風景になります。
入り江の反対側はバンクーバーでも指折りの高級住宅地で、中でもDeep Coveと呼ばれる地区は休日の憩いの場としても人気で。夏はカヤックやヨットで賑います。夏でも遠くに雪山が見えます
次のポート・ムーディー(Port Moody)か、二つ先のポート・コキットラム(Port Coquitlam)で160番のバンクーバー行きバスで帰るのがもっとも手っ取り早いバンクーバーへの戻り方です。ポート・コキットラムは駅前がバスターミナルになっているのでわかりやすい。
この先は、公共交通機関で戻ることは極めて困難になります。
コキットラムを過ぎると、とたんに農業地帯に変わります。果樹園か、北海道のような酪農が主のようです。
終点に向けて、フレーザー川沿いを走ります。しばしば氾濫する、水量豊か川です。カナディアンロッキーの雪解け水はここに運ばれてきます。鮭の遡上でも有名です。
フレーザー川沿いの農業の振興に寄与のは日系移民でした。
スティーブストンなど海沿いの街で漁業や水産加工に従事したのは和歌山県出身者が多いことで知られますが、フレーザー川沿いは広島県や滋賀県出身の人が多かったそうです。
農業を一から立ち上げた彼らは、果物栽培などで徐々に成功しつつあったというのに、戦争とともに土地・財産を没収されてしまいました。終点ミッションの通りにある建物の壁には、日系人がミッション駅から強制的に移住させられる風景が描かれていました。
戦争が終わっても、もはや財産のないこの土地に戻った者は皆無だったということです。
壁画をよく見ると、「通行禁止」という字が裏返しに描かれています。きっとネガを元に描かれたのでしょう。日系人の苦難はよく知られています。それを伝えようとする現代の人々は、日系人が中心でしょうが、カナダ人であって日本人ではありません。日系人の苦難は、日本語としては伝えられなくなりつつあるのでしょう。
日本人も平和の尊さを噛み締めるとともに、日系カナダ人の苦難を忘れてはならないと思うばかりです。
終点ミッションに着いたら、帰りの列車は翌朝までありません。
南のAbbotsfordへ向かう公共バスが頻繁に出ているので乗り換え、Abbotsfordを午後7時半に出るグレイハウンドのバスでバンクーバーに戻るのがよいと思います。